ルーツを探ねて

与ろゐ屋らーめんのルーツ

当時私は暴走族でした?

私(与ろゐ屋店主)は浅草生まれの浅草育ち。昭和28年猿若(歌舞伎小屋の発祥地)産院で生まれました。父は若い頃から紳士服の商売を自分で始め、母も店を手伝っていたので昼食はほとんど外食でした。特に家から2、3軒となりの「長生庵」というそば屋さんへはよく行っていました。ここには私と同じ歳のトコチャンがいて、よく一緒に遊びました。(私の初代ガールフレンド?)

ところが私のお気に入りは日本そばではなく「中華そば」。和風だしと中華スープの混合?(今のダブルスープ?)で、この味がわたしにとっては懐かしい味なのです。長生庵はその後ご家族の都合でしばらくして閉店してしまいました。


今はない長生庵の前で近所の子供達(昭和33年頃)

私は脱サラ組で、らーめんの道に入って既に24年になりますが、当時商社マンだった私が父のあとを継がずに、らーめんの道に入ったのはこの頃からの思いだったのかも知れません。

与ろゐ屋は開業18年目ですが、その前8年間は中華スープベースのらーめん店を数軒営んでおり、その間、札幌ラーメン・喜多方ラーメン・九州ラーメンなどを食べ歩いている中で、どうしても食べたくなったのが幼い時食べていた「あのらーめん」だったのです。

現在ではらーめんと言うと、強火で炊いた白い豚骨スープを思い浮かべる方も多くなってきている時代ですが、私はあの頃に近所の日本そば店「長生庵」で食べた和風の中華そばへの思いが捨てがたく、自分なりに再現をしたのです。現在の当店の味があの時の中華そばの味と同じかどうかは定かではありませんが、あの時の「らーめん」が与ろゐ屋らーめんの味のルーツなのです。


時折、年配のお客さま方に「なつかしい味がするね」「昔の中華そばを思い出したよ」と言われると何となくうれしくなってしまいます。
いろいろなアイデアのらーめんも多くなり、又、時代によってらーめんの味も変わっていきますが、私はこのらーめんを変えることなく作り続けていきたいと思っています。


Part1 日本のらーめんのルーツPart2 しょうゆらーめんのルーツPart3 与ろゐ屋らーめんのルーツ

店舗外観

地図


より大きな地図で 名代らーめん 与ろゐ屋を表示